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東京高等裁判所 平成5年(ネ)4157号 判決

控訴人

A

右訴訟代理人弁護士

芳野直子

被控訴人

C

右法定代理人親権者母

B

右訴訟代理人弁護士

加藤徹

主文

一  原判決を取り消す。

二  本件を横浜地方裁判所に差し戻す。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人

主文同旨

二被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二本件事案の概要等

一事案の概要

本件は、控訴人が、戸籍上控訴人と訴外B(以下「訴外B」という。)との間の嫡出子(長男)として記載されている被控訴人に対し、控訴人との間に親子関係が存在しないことの確認を求めて本件訴訟を提起したところ、原審が、被控訴人は民法七七二条一項により嫡出推定を受ける子であるから、その嫡出性を否定するには嫡出否認の訴えによらなければならず、親子関係不存在確認の訴えによることは許されないとして、本件訴えを却下する旨の裁判をしたことから、控訴人において原判決には嫡出推定及び親子関係不存在確認の訴えの訴訟要件等に関する法令の解釈・適用に誤りがあると主張して控訴した事案である。

二前提となる事実

1  訴外B(昭和二九年七月七日生)は、昭和五二年一月五日控訴人(昭和二五年三月二五日生)と婚姻し、一四年間にわたる結婚生活の後、平成三年四月二二日離婚したが、その間、昭和五九年六月五日に被控訴人を、昭和六三年二月五日にCをそれぞれ分娩した。被控訴人は、控訴人及び訴外Bの間の長男として出生届をされたため、戸籍にはその旨記載されている。

なお、右の離婚に際して、被控訴人及びCの親権者はいずれも訴外Bと定められた。そして、訴外Bは、肩書住居地において訴外Xと同居しながら、右二名の子の監護養育に当たっている。他方、控訴人は、平成四年二月二〇日訴外Yと再婚し、同女と肩書住居地に居住している。(以上の各事実につき、本件記録に編綴の戸籍謄本二通、〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)

2  控訴人は、本件の請求原因として、訴外Bは不貞行為に及んだ結果被控訴人を懐胎したものであり、被控訴人は控訴人の実子ではないこと、控訴人は、平成三年一〇月横浜家庭裁判所に被控訴人及びCの親権者変更の調停を申し立てたところ、その調停の席上、調停委員を通じて、訴外Bが被控訴人は控訴人の実子ではないと述べており、同女が持参した母子手帳に記載された血液型によっても控訴人と被控訴人とは親子ではあり得ないことを知らされた旨主張する。

これに対し、被控訴人は、本案前の答弁により本件訴えの却下を求めるのみで、実体上の主張に関する答弁を留保している。ただし、被控訴人が当審において陳述した準備書面には、訴外Bにおいても、出産時に医師から控訴人の血液型と被控訴人のそれとが背馳するとの指摘を受けたことを認めている趣旨の記載がある。

3  被控訴人が出生した当時、控訴人と被控訴人は同居しており、長期間にわたって交渉を絶っていたとか、夫婦として実体が失われていたというような事情は窺うことができない。(弁論の全趣旨)

三争点

本件訴えの適法性を判断する前提として、被控訴人は、控訴人との関係において、民法七七二条による嫡出の推定を受ける子に該当するか否か。

すなわち、同条所定の嫡出推定が排除されるのは、夫婦が長期間にわたって同棲しておらず、夫の子でないことが外部的・客観的に明白であるというような事情の存する場合に限られるか、それとも血液型の背馳等により証拠に基づいて夫の子でないことが具体的に証明されたというような場合も含むか。

四争点に関する当事者双方の主張

1  控訴人

民法七七二条が嫡出推定制度を設けた趣旨は、夫婦は同居して共同生活を営むのが通常であるから、婚姻中に妻が懐胎した場合には夫の子供と考えるのが自然であること、立法当時の技術水準からすれば自然的親子関係を客観的に確定するには困難が伴うので、嫡出推定により身分関係の安定を図る必要があったことに基づいており、また、同法七七五条以下において、右の推定された嫡出子について親子関係を否定するには出訴期間が一年という短期間に限定された嫡出否認の訴えによらなければならないものとしているのは、家庭の平和が第三者により長期間にわたって侵害されることがないようにしているものである。したがって、右の制度の基盤が失われているような場合、すなわち、①自然的血縁関係がないことが客観的、科学的に明白であること、②夫婦ひいては家庭の平和が既に崩壊していること、右の二要件が具備されている場合には、民法七七二条による嫡出推定は適用されないので、嫡出否認の訴えによることなく、親子関係不存在確認の訴えにより嫡出性を否定できるものと解すべきである。

本件においては、控訴人の血液型と被控訴人のそれとは背馳しており、客観的にも科学的にも実親子関係にないことは明らかである上、控訴人と訴外Bは既に離婚していて家庭の平和は崩壊しているので、嫡出推定が排除され、親子関係不存在確認の訴えは適法である。

2  被控訴人

最高裁判所の判例(最高裁昭和四四年五月二九日判決・民集二三巻六号一〇六四頁)は、妻が懐胎期間中に夫の子を懐胎することができないことが外観上も明白である場合には民法七七二条の嫡出推定が及ばないとしており、控訴人の主張するように実質的に親子でないことを立証し得る場合に広く親子関係不存在確認訴訟を認めるのは、嫡出否認の訴えを不要とするものであり、解釈論の限界を超えるものである。

本件においては、被控訴人は、控訴人と訴外Bが婚姻中、かつ、同居中に懐胎・出産した子であって、民法七七二条により嫡出子と推定されるので、親子関係を否定しようとするのであれば、嫡出否認の訴えによるべきであり、親子関係不存在確認の訴えによることは許されないというべきである。

第三当裁判所の判断

一前示の判断の前提となる事実によれば、被控訴人は訴外Bが控訴人との婚姻中に懐胎した子であり、しかも、その当時右の夫婦は同居しており、長期間にわたって交渉を絶っていたとか、夫婦としての実体が失われていたというような事情は窺うことができないのであるから、民法七七二条を形式的に解釈し、その適用に例外を認めない見解、あるいは、婚姻期間中に妻が夫の子を懐胎し得ないことが外観上明白である場合に限って同条による嫡出推定が排除されると解する見解によれば、本件においては、被控訴人は控訴人の嫡出子と推定されるので、戸籍上の父である控訴人が親子関係を否定しようとするのであれば、嫡出否認の訴えによるほかなく、親子関係不存在確認の訴えによることは許されないことになる。原審は、後者の見解に立って、実体審理をすることなく、本件訴えを不適法として却下したものである。

二しかしながら、当裁判所は、民法七七二条による嫡出推定が排除されるのは右のような場合に限らず、生殖能力の欠如、血液型の背馳、人類学的不一致等の理由により父子関係にないことが科学的証拠により客観的かつ明白に証明され、しかも、懐胎した母とその夫の家庭が破綻し、その平穏が既に崩壊しているような場合にも、同条による嫡出推定が及ばないものと解する。その理由は次のとおりである。

1  いかなる場合に民法七七二条による嫡出推定が排除されるかについては、嫡出推定制度及びこれに関連する嫡出否認の訴えの制度を総合的に考察し、その制度趣旨に徴して決しなければならないことはいうまでもない。

この点に関し、民法の定める実親子関係は、本来は自然的血縁関係にある者の間の相互関係を規律するものであることを当然の前提としつつも、この親子関係の存否を、誰でも、また、いつまでも争い得るとした場合には、家庭内の秘密、殊に夫婦間の性的交渉というプライバシーに属する事柄が公にされて、その平穏が乱されるばかりでなく、平穏な家庭で養育を受けるべき子の利益が不当に害されることになることから、その弊を防ぎ、親子関係を早期に確定させて子に安定した養育環境を与えるため、婚姻中に妻が懐胎した子については一応すべて夫の子として取り扱うこととし、これを否定し得る者(原則として夫のみ)、否定する手段(嫡出否認の訴えに限定)、それを採り得る時期(出訴期間は一年というごく短期間)について厳重な制限を設けたものであると考えることには、ほぼ異論がないであろう。そして、婚姻期間中に懐胎した子を一応すべて嫡出子とすることの基礎には、婚姻中の夫婦が同居生活を営んだ上で懐胎するという通常の事態が想定されていることは、一般に指摘されているところである。

2  そこで、まず、妻が懐胎した当時において、夫が長期不在(その原因としては、服役、海外滞在、事実上の離婚による別居等が考えられる。)あるいは行方不明などにより同棲しておらず、夫の子を懐胎し得ないことが外観上も明白であるという場合には、嫡出推定の基礎として想定された事態を欠くものであるから、推定を排除して差し支えないと容易にいい得るであろう。この場合には、家庭内の秘事に立ち入らなくても、外観に関する証拠のみによって推定の排除事由を立証し得るので、家庭の平穏の保護の見地からも比較的問題が少ないということができる。

3  しかしながら、嫡出推定が排除される場合をこれに限定する必要はない。すなわち、民法上の実親子関係が本来は自然的血縁関係にある者の相互関係を規律するものであることを前提としていることは前示のとおりであり、また、実際上も真実の親子関係の存在が両者間の情愛の基礎となっているのが一般であることから、客観的に親子関係が存しないことが明白な事案においては、民法上の実親子関係を強制することは相当でないと考えられる。その例として、妻が懐胎した子と夫とが人種を異にするとき、人類学的に不一致であるとき、血液型が背馳するときなど、客観的かつ明白に親子関係を否定し得る場合が挙げられるであろう。夫に生殖能力がないことが明らかなのに妻が懐胎したときも同様である。

もっとも、右の親子関係の不存在は、科学的証拠により客観的かつ明白に証明できる場合に限るべきである。関係者の供述等の諸種の証拠による事実認定を要するような場合には、その審理によって家庭内の秘事が公にされ、家庭の平穏が害されること甚だしいからである。このような場合にまで嫡出推定を排除することは、嫡出否認の訴えの制度をわざわざ設けている民法の趣旨と明らかに抵触することになるというべきである。これと対比しても、科学的証拠により親子関係の存否を判定し得る場合は、審理によって家庭の平穏を害する程度が低く、その点においては、むしろ外観により判定し得る場合と径庭がないとも考えられるのである。

なお、被控訴人が指摘するように、最高裁判例は、離婚に先立つ長期間の別居により外観上夫の子を懐胎できないことが明らかな事案に関するものであるが、その射程距離については、いわゆる外観説によって親子関係を否定し得る場合に限定されているものとのみ理解しなければならないものではない。右判例の趣旨は、先に述べた諸点に照らせば、科学的証拠により客観的かつ明白に証明し得る場合にも当てはまるからである。

4  ところで、嫡出推定が排除される場合には、原則として、訴えの利益が認められる限り、誰でも、また、いつでも親子関係不存在確認の訴えを提起し得ることになるし、また、利害関係を有する第三者が財産権に関する訴訟の前提問題として親子関係の存否を主張・立証することもあり得る。しかし、このような事態が無制限に現出することは、嫡出推定規定及びこれに関連して嫡出否認の訴えが設けられた趣旨が第一義的に家庭の平穏を守るという点にあることを無視するものであり、民法の容認するところではないといわなければならない。

そこで、嫡出推定が排除され、親子関係不存在確認の訴えを提起し、あるいは、他の訴訟の前提問題として親子関係の存否を主張・立証し得るのは、懐胎した母とその夫の家庭が破綻し、もはや保護すべき家庭が存しないことが必要であると解すべきである。そして、このように解しても、夫や子がそれぞれ親子関係の不存在確認を訴求するような事案においては、家庭の平穏が既に崩壊してしまっている場合がほとんどであると考えられるので、夫と子の立場を不当に制限することにはならないと考えられるし、何よりも、夫と子が殊更に親子関係の存否を問題にせず、健全な家庭を維持しようとしているのに、真実の父や相続等の財産関係に利害を有する第三者が自己の利益を追求するために右の訴えを提起することを防止する点において、嫡出推定制度の解釈・運用上の長所があるということができるのである。

三以上の見解に立った場合、本件においては、控訴人と訴外Bとの家庭は離婚により既に崩壊していることは前示のとおりである。したがって、血液型の背馳等の理由により科学的証拠により客観的かつ明白に控訴人と被控訴人との間に親子関係が存在し得ないことが証明されたときは、民法七七二条に基づく嫡出推定が排除される結果、親子関係不存在確認の訴えによって被控訴人が控訴人の嫡出子であることを否定し得ることになる。

したがって、右の点について証拠調べをしなければ、本件訴えが不適法であるか否かを決することができないこととなる。

しかるに、原審においては、血液型背馳の主張がされているのに、この点について何ら立証させずに訴えを却下したのであるから、違法といわざるを得ない。

四よって、原判決を取り消し、更に審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官丹宗朝子 裁判官新村正人 裁判官齋藤隆)

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